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9月12日のツイート

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9時59分 サウスタワー崩壊。 10時28分 ノースタワー崩壊。 同じ位置から10時32分に撮影したこの写真には、もうタワーは写っていない。 pic.twitter.com/6RFa2fQLdt

posted at 02:52:35

夫が上の映像を撮っていたと同じころ、私はミッドタウンの自宅アパートの南向きの窓からダウンタウンの方角を眺めてた。デジカメに残ってた記録では2001年9月11日9時9分撮影。 同日のタイムラインでは8時46分にファーストインパクト、9時3分に2機目のインパクトなので、2機目衝突から5分後ぐらい。 pic.twitter.com/DaUkVDJAmV

posted at 02:47:29

これ、2008年9月11日のNYタイムズの記事。 www.nytimes.com/2008/09/11/art… ヒストリーチャンネルで放映された、911当時の映像を集めたドキュメンタリー番組の紹介記事ですが、NYT記事中に使われていたこの写真は、私の夫が写していた当日の映像から、切り取られたショットです。 pic.twitter.com/ZWrGwer5Cd

posted at 02:22:50

@travelpedsurg もうすぐ、葉の色が変わります。そして長い冬がくる。

posted at 02:03:02

わたしたちは「生かされている」。 今日を生きよう。

posted at 01:26:36

あのとき、あのポリスマンが機転きかせて発砲しなかったら、その場で全員窒息死したかもしれない。 うちの夫が助かった場所のすぐ目と鼻の先では、瓦礫にあたったのでしょうか、死んだ人が実際にいたわけ。あすはどうなるかわからない。何が生死をわけるかなんて、わかりませんよ。

posted at 01:26:08

通せんぼ状態になった一角には、うちの夫のほか、警官や消防士ら10名以上が行く手を塞がれてギュウギュウになり、このまま死ぬのか・・・と思った瞬間、ひとりの警官が拳銃でWFCのロビーのガラスを撃ち破って人が通れるぐらいの穴があき、そこからWFCのロビーになだれこんで全員が助かった。

posted at 01:19:20

必死にすぐ隣のビルのワールドフィナンシャルセンター(WFC)に向かって走ったが、WFCの1階ロビーは内側から鍵がかけられてて、通せんぼ状態になった。土地勘あるひとなら想像できると思いますが、通り隔てた向こう側から110階分の瓦礫が真上から落ちてきたというんだから。

posted at 01:14:12

そして、もうひとつ、夫の話を聞いて確認したことは、人間の生死を分けるものは運でしかない、ってことかな。うちの夫は、燃えてるタワーを真下から撮影していたが、角度を変えようとして、通りの向こう側に向かって歩き出した瞬間に、背後でタワーが崩壊始めた。

posted at 01:09:24

いろんなことを昨日のことのように思い出す。あの体験を通じて、ニューヨーカーの多くは素朴で暖かいひとたちだというのも確認した。ああいうときに人間、本性が出るからね。ヒューマニティの存在を確認させてもらいましたよ。

posted at 00:59:13

いまでは素晴らしくきれいになってるウェストサイドのチェルシーポートのあたりや、ハイラインがあるあたりね、あの近辺は、当時はまだ開発前だったんで、広い空き地の確保が可能で、崩壊現場から見つかった死体の一時置き場だったんですよ。

posted at 00:53:22

テロの翌朝はショックで死んだように静まり返ってたニューヨークだけど、輸血が必要だといえば大勢が長い列を作って献血した、救助隊の犬のブーツが擦り切れたと聞けばわんこブーツが山のように集まった、消防車や救急車が通れば大声で「Thank you!」と叫ぶひとが大勢いた。

posted at 00:49:18

うちの夫が現場を離れて徒歩で北上を始めたとき、一台の車が止まって、「どこまでいくんだ、乗ってけ」と言って乗せてくれて、28丁目まで連れていってくれたんだって。白い革張りのレクサスで、粉だらけ泥だらけの夫を躊躇なくのせてくれた見知らぬ誰かがいた。

posted at 00:45:24

うちの夫が写した映像でわかったこと。あの当日、ポリスも、消防士も、医療隊員も、みんな、あんなすごい大混乱と粉塵の中で「職務を遂行していた」んですよ。ファーストレスポンダーの彼らは、本当にあの現場で「働いていた」んです。写ってるんだから、ウソでも誇張でもないよ。感謝の念しかない。

posted at 00:41:00

さっきも書いたけど、テロが起こってまもなくポリステープが張られ、現場付近はメディアも含め立ち入り禁止になったため、あのときタワーの真下に行けたジャーナリストは実はそんなに大勢はいなかった。 崩壊現場の大混乱と、警官、消防士、医療隊員らの姿を映した貴重な映像で、賞も幾つか頂いた。

posted at 00:35:15

うちの夫が写してきた映像は、その欧州のテレビ局のNY支局のスタジオからEditもされず本社に送られ、シンジケートを通して欧州の他の多くの国でも流れました。テロ現場内側の様子を、911の起こったまさにその当日に、欧州のどこかで見たひとがいたら、あれはうちの夫が写した映像です。

posted at 00:28:00

スタジオに入ると、そこにいた支局のひとたちがみな一斉に駆け寄ってきて、そこにいるみんなが泣きました。夫はカメラをスタジオの台の上に載せて、そこで、彼も、安心したんでしょうね、ウッとなってちょっと泣いて、またそこでみんなが泣いたんだよ。

posted at 00:24:02

突っ掛け履いてロビーに降りていったら、そこに、全身粉かぶったみたいな姿の夫がカメラを持って、立ってました。わたし、そこで、大声で泣いたよ。ドアマンも一緒に泣いてた。 これから現場で写した映像をフィードしにスタジオに行くというので、また一人になるのが嫌で、わたしも付いていった。

posted at 00:21:21

そしたら、電話が入ったんです。夫から。28丁目の公衆電話から掛けてる、といって。当時はまだ、ストリートに「公衆電話」なるものがあったんだよね。彼、生きてたんですよね。少ししたら階下のドアマンから連絡はいって、夫がロビーにいるからすぐ降りてこいという。

posted at 00:19:17

「なにか動きがあったら即座に連絡するから」と言ってくれた支局長からは、その後なにも連絡はない。夫の携帯電話にはつながらない。ひとりで惚けたようになって、まどの外をぼんやりみてたことを思い出します。

posted at 00:14:29

「群れ」という言葉がふさわしい。それほど大勢の人々が一斉に集団で北上していた。その様子、はっきりと覚えている。中には全身、崩壊したビルの粉塵をかぶって真っ白になってたひとも少なからずいました。 タワーと一緒にアンテナも崩壊したから、NYシティでは携帯電話がつながらなくなってました。

posted at 00:11:42

ワールドトレードセンターはマンハッタン島の南端の金融街のあたりにあり、地上も地下も交通手段はメチャクチャになっていたから、現場で崩壊のインパクトを受けた人々は、自宅に戻るために、島の南端からアベニュー沿いに歩いて北上した。私が窓から見てたのは、その人々の群れだったんです。

posted at 00:09:05

なにか動きがあったら必ず知らせるから、ともかく気を確かに持って、連絡を受けられるようにしておいて、と言われて電話が切れた。動転してしまい、親と友達に電話して事情を語り、泣き続けた。窓の外をみるとダウンタウンのほうからサードアベニューを北に向かって歩いてくる人々が目にはいった。

posted at 00:04:47

夫がその日仕事をしていた欧州のテレビ局のニューヨーク支局から電話がきて、国連ビルからツインタワーに向かったクルーは、ディレクターとサウンドマンとカメラマンの3名で、前者2人とは連絡がついたが、大混乱の中カメラマンとはぐれてしまい、私の夫とだけ、まだ連絡がついていないと言われた。

posted at 00:00:50


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